孤高の人気者リョウブ~ふれあいの里だより令和8年7月号~
昨年は一か月ほど前倒しになったような梅雨で、猛暑と大雨が交互に訪れるような激しい天候でした。今年は久し振りに梅雨らしい梅雨となっているようで、九州北部から関東甲信地方は7月中旬以降に平年並みか早い梅雨明けとなりそうだと予報がでています。
初夏の白い花が咲き終わり、少し思い出したかのようにリョウブの花が咲きます。リョウブは北海道南部、本州、四国、九州の丘陵や山地の尾根や乾いた落葉樹林内に多い落葉小高木です。リョウブ科は属が少ない小さな科で、日本に自生するのはリョウブだけです。花期は6月から8月で、この辺りでは以前は7月上旬に咲き、いよいよ夏本番がやってくるなと思わせてくれたものですが、ほかの初夏に咲く花が早くなったようにリョウブも6月中旬ころから咲くようになりました。
令法と書いてリョウブ。これは飢饉に備えて、田畑の面積に応じてリョウブを植え、新芽を採取して貯蔵することを命ずる法令(令法)が発せられたことから付いたとされます。
別名のハタツモリは収穫量を見積もって畑に植えられたことから畑積り、白く長い花穂が群れ咲く様子を源氏の白旗に目立てて旗積もりなどの説があります。
9代目米沢藩主の上杉鷹山は飢饉克服のため様々な対策を施していましたが、植物学の知識の低かった江戸時代に農作物が不作の時も山野に自生する植物で食料になる救荒食品の知識の普及と各自の備蓄を勧め、救荒植物をまとめあげた『飯粮集(はんろうしゅう)』、『かてもの』を発行しました。その中にはリョウブも記載されています。摘んだ若葉をゆでて天日干しをし、俵に詰めて貯蔵したとされ、米と一緒に炊き込んでかさ増しをして食べたようです。今でも山菜として食べられているところもあります。
平安時代中頃にリョウブを植え飢饉に備えるようにとの管令が公布されていたとされ、このころは「はたつもり」として歌にも詠まれています。江戸時代本草学者の貝原益軒が記した『大和本草』に、リョウブは救荒本草にして和名リョウブ、古名ハタツモリといへりと記されていることからこのころからリョウブと呼ばれることが定着してきたようです。そしていくつかある別名の筆頭としてハタツモリは残っています。
樹皮はサルスベリに似ていて地方によっては猿滑りと呼んでいます。庭木や公園樹、建築や器具材に使われたり、樹皮がはがれた美しく特徴的な材はそのまま床柱に使われたりします。冬芽もとんがり帽子をかぶった独特の形をしています。この帽子は落ちやすく日々変化をみるのも楽しいものです。
花が少ない時期でもありリョウブの花は様々な虫たちでにぎわいます。秋には丸い実を房状に多数つけ垂れ下がります。今度は野鳥たちの餌が少なくなる冬場の貴重な糧となります。
7月7日は今年も小暑と七夕が重なります。深夜から翌日明け方には月と土星が並び8日日付が変わってすぐに最接近します。11日深夜には月が火星に最接近、翌日未明から明け方細い月と火星が並びます。17日夕方から宵には細い月と金星が接近、日付が変わると最接近します。伝統的七夕は今年は8月19日、その頃には織姫星と彦星も見られる可能性が高いことでしょう。
ナツアカネやリスアカネなど赤とんぼの仲間や、数々のトンボが見られるようになります。チョウの数も増えます。
周りを明るくするようなヤブカンゾウ、香りで咲いていることに気づくヤマユリ。梅雨が明けるとセミの声が一気ににぎやかになります。深緑の中、虫たちの季節がやってきます。
リョウブ |


